落語が大好きです。かと言ってテレビでわざわざ観る(聴く)ことも無いですし、DVDを買ってまで観るまででは無かったです。
YouTubeは過去の名人古今亭志ん朝の当時の映像を楽しむことが出来、本当に感謝です。もし、有料でしか観れないとしても間違いなく観るでしょう。現役の全ての落語家の話を聴いたわけではないですが、志ん朝さんは別格で今後も彼の芸を越える人はいないのではないかと思います。
三方一両損は古典落語でも超有名なのでどんな話かをご存じの方が多いでしょうが、超ざっくりあらすじを書きます。
ある男(A)が財布を拾う→財布には落とし主の名前と住所があったためそれを頼りに財布を届ける→財布は俺(B)のものだから受け取るが、3両の金は落っことしちゃったものだから受け取れねえとお金の受け取りは拒否→(A)親切に届けたのに受け取らないのは何事だ?→(B)そうは言っても江戸っ子がそんな金受け取れねえ と(A)と(B)はケンカ。納まりのつかない両者は長屋の家主とともに裁判所へ。大岡越前(C)の裁きは、金はもともと(B)のもの、それを拾った(A)は(B)が要らないというのだからその3両を受け取る権利がある。大岡越前(C)は(A)と(B)の態度には大いに心を打たれた、そこで大岡越前(C)は自らの1両を足し、(A)と(B)に2両ずつ渡す。これで、3者は1両ずつ損をしたが、万事丸く収まったという名裁き。これが落語のあらすじです。
今や、日本人にも「江戸っ子」の気質は理解が出来ません。「宵越しの金は持たない」「一度落としてしまった金は自分の金ではない」というこの発想です。
落語で(A)の長屋の長は(A)が夕暮れに金を拾ってしまったことについて「間抜け」と批判する。江戸男というのは「反っくり返って」歩くべきだから道に落ちている財布など拾う訳が無い、と。(A)は反論します。ちゃんと反っくり返って歩いてましたよ、ただ、草履に財布が引っかかって財布を拾っちゃったんです。長屋長、江戸っ子は常に新品の草履を履いてなきゃだめだ、古い草履を履いてるから、ささくれだって財布に引っかかっちゃうんだ、と言って(A)を言い負かす。
このあたりの下りは我々現代人には理解不能です。英語を完璧に話したとしても世界中の誰も理解しないでしょう。
宵越しの金を持たない江戸っ子というのは、職人としての技量がとても高く、かつ、仕事がいくらでもあった、つまり、その気になればお金に困ることは無かった、というのが背景にあったようです。良い時代だったと言えるかもしれませんね。現在はFIREが盛んに議論されていますが、FIREにおける、 Financial Independentをほとんどの職人が達成していた、ということが言えるかもしれません。当時も、商人はお金を貯め込んでいたからそれはそれで面白いですよね。
古今亭志ん朝さんの三方一両損は残念ながら映像では観れません。音声だけです。それでも最高のエンターテインメントであることに論を俟ちません。こちらからどうぞ。