私は寺山修司さんは大好きで、この、「書を捨てよ、町へ出よう」も随分昔に読んだ。当時はその通りだな、と思った。
現在は、町には出ていっている方だと思うが、本はあまり読まなくなった。その代わりスマホの薄っぺらい情報を無意味に、暇つぶしのように読んでいることに気づいた。
明確な統計なんか無いが、「スマホを見ている時間」と「人間の成長」は反比例の関係にある、と思っている。スマホ自体を否定するつもりはない。わざわざカメラなんぞ持ち歩かなくても素晴らしい写真や映像が取れることは素晴らしいこと、気軽に音楽が聴けることも素晴らしいこと。地図アプリなんてのは、世の中を変えたとすら思う。
メールなど今やわざわざプリントアウトしないし、電話や連絡先など、スマホが必須&便利だというのは心底思う。スマホの無い生活を送る予定は今のところない。
一方、スマホで1,2分で読み切れるようなニュースなどについてはどうだろう。これこそが人間の思考を薄っぺらくし、深みとか無縁な「バカ」を産み出す側面だと思っている。食事の時にチェックしなくてはいけないニュースはほとんどない。メールやテキストだって本当はそうだ、食事の際にスマホをいじっていることのある自分は猛省が必要だと思う。「あなたは食事の時間もスマホをいじらなければいけないくらい時間が無いのですか?一日が24時間30分になるよう神様にお願いしますか?」と。そんなはずはない。
要すれば、スマホは上手く使わなければいけない、ということ。
私は部屋ではスマホをなるべく見ないようにし始めた。Youtubeを見る、ニュースを読む、時にもPCを使うようにしている。大した違いは無いが、スマホを惰性でいじり続けることは、なんか間抜けな気がする、ということ。
これとて、寺山修司さんには「捨てろ」と言われている「書」にはかなわないと思うが、スマホなんて寺山修司先生には「論外」なものに映るだろうな、という感想。
折角、考える力を与えられているんだから、「教養」といった深い何かをみにつけたい、それには、沢山の書物を読むしかないだろうな、という心境。さて、少しずつスマホを必要最小限にする効果が現れるかな?