人生をマラソン競技に例えることって多いんだろうな、と思います。多分、そういう場合、生まれた瞬間からレース(競技)が始まっており、死亡するときにレースが終わる。これは、「時間」ということからするとその通りで、「人生は長い→長い=マラソン」ということで「人生はマラソンだ」というような考えに何となく納得してしまう。

人生を80歳だと思えば54歳の僕は30キロ付近を走っていることになります。時間ということではマラソンに例えることはもっともらしいようにも思います。死んでしまえば何がどうあろうがレースは終了ですし。

一方、ゴールが死に設定されていることは余りにも競技としてどうなの?というようにも考えられます。「人生とは?」と考えたときに、「人生は生に始まり、ゴールは死である」というのが、あまりにも工夫が無いし、努力の結果が見えづらいようにも思います。

また、「人生の目的=ゴール」はその時々に設定されますから、一つの長いレースにこだわる必要は無いようにも思えます。いつでもスタートラインとゴールラインを自分で設定できるわけですから、一日の始まりをスタート、一日の終わりをゴールと設定して、一生懸命頑張る、という考え方の方が健全かな?とも思います。

「人生の目的=ゴール」って何?が難しいですが、「人生の目的を幸せの追求」と仮にした場合には、その時その時が幸せであることで一つの競技が終わっているようにも思うし。

どちらにしても心身の健康が競技を続ける大前提。健康でいなくなったら「お迎えを待つ競技」しか残っていないので、それまでにどれだけ「幸せ」を積み上げられるか?という感じで考えてみようかな。

本日の結論

人生はマラソンのような一つの競技とはどうやら違うと考えたほうがしっくりくる。やり直しが何度でもききますしね。

そもそも競技として他人と比較するようなものではないよな。

少し考えが前進したようにも思うが、まあ、こんなことを考えていることが楽しいと思えるんだから、自分に何が起こっているんだろう?と思う次第。