人間はあらゆる局面で「選択」をしている。今日は何食べようかな?どの靴買おうかな?といったいうような日々のことから、ブログを書こう!というのも選択だし、こんなテーマで書いてみようというのも選択。テレビだってYoutubeだって読書だって全部何らかの選択をしていて。

人生において何度「選択」しましたか?という問いに上手に答えられる人は少ないように思う。人生の岐路とも言える「選択」となると、それほど多くないような気がしますよね。例えば、どの大学に通うか?どの企業に勤めるか?というのも、選択と言えば選択だが、なんか僕の場合には「誰が引いたわけでも無いレールを勝手に引き」その中での選択をしたように思う。じゃあ、そのレールの上を走ろうっていうのは選択なのかと聞かれると唸ってしまう。何も考えず、「その方が結局は有利そうだぞ、無難だぞ」という意識くらいかな。

そうは言っても、現在、その選択は大正解で、ラッキーだったな、と思えることは嬉しい。選択が上手くいくかどうかは、結局は、自分がした選択を是として、「何があってもやっていける」というような変な自信が必要かな、と思う。選択をするにあたっての情報や見通しがその通りであることなんてなかなか無いだろうから、結局は「これだ」と決める他無い。

根拠は無いけど、「自分の選択は基本的には間違いない」「いかなる選択をしようが、結局はその選択を是とするよう前進していくしかない」と決めてしまうと実に楽だな、と思う。

ポジティブに。美味しくないレストラン、美味しくない料理を選んでしまったな、と思えば、「こういう選択で運を使ってはいけない」と思えばいいし、美味しい料理を選ぶことが出来れば素直にレストランに感謝すればよい。実に愉快な発想。我ながら素晴らしい。

いつ、どのような選択(決断)をするか分かりませんが、どこまでも前向きに考えていく予定です。