水戸黄門、銭形平次、暴れん坊将軍、桃太郎侍、必殺仕事人、などなど、時代劇はよく観ました。今はほぼほぼ廃れてしまいましたね。残念でなりません。

ストーリーはおおよそ決まり切っていて、「悪いお侍、悪い商人」が悪の限りを尽くし、罪の無い善良一般市民をひどい目に遭わせる。

それを、善の象徴ともいえる主人公グループが「悪の親玉」を探り当て、残り15分あたりになると、「悪」の退治が始まります。「悪」もそれなりに腕が立つ人たちなのですが、「善」の剣術には到底及びません。危ういシーンなど無く、一方的に「悪が懲らしめられ」、平和な生活が戻ってきます。

どんなにストーリーが分かっていても、私のような超単純人間には時代劇は常に「痛快」そのものです。

まさに「勧善懲悪」、こうあるべきなのです。私に道徳心というものがあれば、時代劇の果たした役割は少なくないと思います。

さて、私が感謝してやまない「Wikipedia」は言うまでもないですが、情報の宝庫です。勧善懲悪で調べてみると、

聖徳太子の十七条憲法の第六条に「懲悪勧善。古之良典。」(悪をこらしめて善をすすめるのは、古くからのよいしきたりである。)と明記。聖徳太子は飛鳥時代(西暦600年ごろ)に活躍しておりますから、1400年前にすでに、古くからの良いしきたりと言っていた訳です。古くからの日本にはすでに「勧善懲悪」が根付いていたと言えます。

時代が変わってしまったと言えばそれまでですし、洗練されてきたと言えばそれまでかも知れませんが、「悪を懲らしめる」ことが最近、ぬる過ぎのでは無いか、「悪人の更生なんて全く興味ないね」というのが野蛮かも知れませんが、私の偽らざる気持ちです。さらに具体的に言えば、

「おっとさんの仇!!」と娘さんが自ら刀を持ち、仇討ちを果たすシーンは私の中では「勧善懲悪」の象徴的なシーンで、現代社会でも認められても良いと心底思っています。おっとさんを殺した人間が更生のために牢屋(刑務所)に入るのは、何とも間抜けなのです。

勧善懲悪から、現在の司法・刑罰の重さに対する不満に脱線してしまいました。。。