人生をどのように例えるかはなかなか難しいとずっと思ってきました。マラソンのようにゴールが華々しいのは少し違うと思っています。当然、競馬のように最終コーナー回ってからが本当の勝負っていうのも違うと思うんです。

そんなどうでも良いことをつらつら考えており、本日、「そうかも」という私なりの一つの答えが見つかりましたので、忘れないうちに(忘れていけないものなのか、忘れてしまうレベルの発想なのかよく分かりませんが)、書き留めておくようにします。

それは、「投げられたボールの軌跡」といった投擲が近いかな、と思います。やり投げのように地面に突き刺さるのも良いかも知れませんね。

ボールが投げられ、勢いよく空中に飛び立つ幼少期、ぐいぐい伸びていく青年期、そこから高さを保ちながら飛んでいく20代、30代、40代が終わると、少しずつ体力が落ちていく50代、さらに60代、いよいよ地面が見えてきている70代、80代、90代、、、、死亡はボールが地面に落ちてしまう瞬間。もしかしたら、地面に落ちても転がっている間は人生の最終局面で、ボールが止まってしまった地点を死亡とする方がしっくりきますね。

ボールが何らかの障害物に当たって落ちてしまい、止まってしまうのは事故死のようなものかもしれない、って思うとなかなか我ながら良い考えだと思います。

さて、私は今どの辺をどのように飛んでいるんでしょうかね。勢いのピークは過ぎてしまったような気もしますね。考えたくも無いですが、ボールが地面に落ちて、コロコロと転がっている自分の姿はあまり考えたくないですよね。時間の問題で死が迫っているのにコロコロと人の世話になって。事故死も勘弁して欲しいです。こればっかりは何時のことか。

赤ん坊や子供も低い場所にありますが、勢いも違うし、これからの明るい将来が待っています。だから大事にもされて良いと思います。その一方、、、、。

だからこそ、生きている今が大事。