不朽の名曲ですね。
このコンサートではやや声がカスレ気味ですが、これはこれで素敵です。
さて、学校には卒業がつきものなので、卒業アルバムや文集など6年間、3年間など振り返ることが可能です。僕も良くはおぼえていませんが、卒業っていうと学校の印象があります。社会に出るとなかなか卒業という区切りをつけることは難しいように思います。
転勤だって本当は一区切りですが、送別会で多少あれこれ反省し、上司、同僚に感謝するくらいですよね。転職すら新しい会社でまた新たな人間関係で新たな業務が開始する訳で、あまり前職からの卒業って意識しなかったように思います。この後完全に退職となると、これはそれなりの卒業なのかもしれませんね。
さて、勘の良い方(そもそもどなたがが閲覧いただいているか分かりませんが)はそろそろ筆者が何を言いたいか分かると思うのですが、個々人も社会に出ると「卒業」ってあまり意識しないですが、会社や地方自治体、国って「卒業」ってほとんどないように思います。会社は、事業転換が卒業に近く、こういうことを上手くこなしている会社が変革を続けながら成長しているのかも、って思います。
でも、僕の育った岐阜県や可児市が何かから卒業して何か新しいことに取り組んでいるのか?あまりピンときません。日本という国はどうでしょう?
日本人の良いところって粘り強くきちんと継続することだと思うのですが、何か変えるとなると、急にあれこれと本質でない検討が繰り広げられます。なかなか前に進みません。何かを続けること(=変えないこと)には、ほとんど疑問を覚えないところは本来的にはおかしな話なのですが、それにほとんど疑問を持たないことは残念だと思います。
戦後80年を迎えました。
この80年は米国という超強国と安全保障条約を結ぶことで経済復興に軸足を置いて経済成長を遂げてきたと思います。これはこれで良かったと思います。アメリカにも感謝しなくてはいけないと思います。ですが、本当に今後も続けていて良いのか?って常に考えておくことは大切だと思います。
現在、トランプ大統領がかなり明確にメッセージを発していますが、バイデン大統領の時だって実は同じだったと思います。次のアメリカ大統領だってそうです。
米国の庇護からの「卒業」を真剣に考え、日本がどう自国を守っていくかを検討しなくてはいけません。こんなのは、国民の意見を聞く必要などそれほどなく、国防や憲法などに長けた方がリーダーシップを発揮すればよい、と私は思います。