“知るは楽しみなり”

元NHKアナウンサーの鈴木健二さんが95歳でお亡くなりになったとの報道がありました。ご冥福をお祈り申し上げます。

「知るは楽しみなりと申しまして、知識をたくさん持つことは人生を楽しくしてくれるものでございます」という言葉で始まる「クイズ面白ゼミナール」は1981年から1988年の7年間続いた番組だそうです。改めて調べてみました。

番組の内容も素晴らしかったですが、鈴木健二アナウンサーが「知ることの素晴らしさ」を視聴者に感じてもらいたい、という姿勢が一番印象に残っています。

まさに仰る通りです。

「勉強」っていう表現にすると、机に向かってテストで良い点を取るための行動っていう感じで、あまり楽しく無いです。一方、「知識をたくさん持つこと」は楽しいことです。さらに踏み込んでいえば、「どうしてそうなるんだろう?」「どうしたら改善できるんだろう?」と考えることも楽しいことです。

インターネットには情報が溢れており、「知ろう」と思えば、知識を得ることについては簡単になってきています。(百科事典のような書物に掲載されている情報については、多くの人が関与し、より高い責任感を持って掲載されていると思います。インターネットで得られる知識はそこまで責任感に満ちているとは思いません。が、利便性はそれを補って余りありますから、「百科事典>インターネット」と考えている訳ではありません。もはや観る機会のない百科事典で物事を調べることが贅沢に思えますね。今となっては。)

夥しい情報が手軽に引き出せる環境にありますが、それを活用するかどうか、「知ることの喜びがあるかないか」は全く別問題。同じようにテレビ観たりYouTube観たりしてても、「それ面白いじゃん」とあれこれ調べる人と何も感じずの人が居ると思う。どちらが良いとか悪いとかではなく、自分は「それ面白いじゃん」と調べてみて、できれば、それを自分で体験して、という感じの姿勢で居たいと思う。

知的好奇心っていうものは、もともと備わっている人も居るでしょうが、生活の中で高めていけるものでもあると思います。「知的好奇心に満ちた人間」で居たいと思う。こういうブログを気ままに書いていますが、これも少しは「知的好奇心」を刺激できていると思います。

お土産

旅行の際に、「お土産」っていうのは、結構「へんてこりん」なイベントとなり得る。私のように海外で生活していて現地の方から、「これ買ってきて!」と頼まれる場合、それは「お安い御用」となる場合が多い。「サンリオの○○」と細かく指定いただく場合、サンリオに詳しく無い私はお店の人に聞いたり、写真で確認したりと手間はかかるが、喜んでいただけるならありがたいし、自分の知らない世界を知る機会になるので楽しい作業。

一方、職場の人にお菓子を買っていくような場合、「何人分買っていかなきゃいけないぞ」とかあれこれ「日常」のことを考えることとなり、「非日常」を満喫する旅行に「日常」を持ち込むものとなる。お土産の購入はどういう訳か旅の最後に行うことが多く、時間的な制約を受けることも多いから「厄介」な行程という印象があるのかもしれない。

こういうところにも丁寧さが求められるし、私の知り合いでも非常に細やかな気配りの出来る人がおり尊敬もするのだが、自分はお土産というものが心底は納得できないかもな、という気がしている。

自分のための買い物は「お土産」とは言わないかも知れないが、StarbacksのマグカップやHardrock CafeのTシャツや帽子は旅の記念として非常に重宝してます。フィリピンではもっぱらTシャツを買っており、それだけでもかなりの枚数に達してます。旅で気持ちが盛り上がるとついついTシャツを買ってしまうのかも知れないです。(すでに十分な枚数のTシャツを保有しておりますが、、、)

お土産を買って渡す習慣がいつ頃、どこで始まったのかは、Wikipediaには詳細な記載が無い。が、土産というのが漢語であるから中国にもあった風習なんだろうとは思う。フランス語が由来のSouveniorという言葉は「旅の記念」という意味で自分用ということなので、日本(ここフィリピンでも他人に配ることは文化として根付いています)での感覚とは違うようですね。

一度スペイン・バルセロナで旅行中に街中であまり日本人を見かけないなと思いながらお土産屋さんに入った際には日本人ばかり周りに居て、何とも言えない虚しい気持ちを味わったことを覚えています。世界中どこへ行っても買い物ですか?というような感覚だったと思います。

「お土産」なかなか難しいです。

こんなとこに居るはずもないのに、、、。

山崎まさよしさんの「One more time, one more chance」は「愛のメモリー」などと同じく、不朽の名曲だと思います。洋楽も好きですが、邦楽には、また一味違った素晴らしさを感じます。歌詞が沁みますからね。特に最近そんなことを感じます。歳を取ったのかな。それはそれで事実ですが。

さて、名曲を聴きながらこのブログを書いていますが、「こんなとに居るはずもないのに、、、」が繰り返されます。何とも切ないです。

さて、FacebookやInstagramといったSNSには本当に膨大な写真が毎日毎日アップされています。私なども良いなあ、と思う風景をバシャバシャ撮っては、ほぼ何も考えることも無くFacebookに掲載しています。

「こんなとこに居るはずもない」人が自分のfacebookにて晒されてしまっていないか?自分が「あれ?」っというところで写り込んでいないか、と思うことあります。

他人が何の考えも無く上げた写真がもとで大きなトラブルになった事例って年間どのくらいあるんだろう?なんの気なしに写りこんでしまったがために、人から尊敬されることってあるんだろうか?などなどSNS時代だからゆえのリスクを考えてしまうのでした。推理小説でも、「SNSでの写真」がトリックになっているものもあるでしょう。まずは気を付けなきゃいけませんね。

中田宏参議院議員

朝ドラを観て、あさイチを観て、という流れで国会中継をそのまま観ちゃうことがそれなりの頻度であります。国会中継は私の政治不信を高めることが多く、「国会議員の皆様、これ有権者に見せられますか?」「子供が観て将来に夢を描けるとお思いですか?」というような感想を持つことが多いです。

が、中田宏参議院議員の質問は「明らかに」レベルが違いました。覚えているのは二つの質問。一つ、「学校の体育館は緊急避難場所に指定されているが、空調も無ければトイレの数も圧倒的に不足している。これをどうするのか?」二つ、「発電所や自衛隊の基地といった重要な土地の周辺を外国人が所有しているケースがある。この実態調査を以前質問したところ、600か所程度を重要土地と定め、調査することが速やかに法制化された。この動きは評価するが、調査した後どのような措置を取るのか?」

二つともなかなか重要な指摘です。何時どのような形で発生するか分からない緊急避難場所にどこまでお金をかけて整備するのか?そもそも学校の体育館が基準を十分に満たしているのか?というところに始まり、避難所としてどこまで生活空間としての機能を備えるのか?優先順位を議論し、予算を分配していく、まさに政治ってこういうことだと思う。私は重要な視点だとは思うものの、子育て世代の支援の方が優先順位は高いと思う。ただ、こういう重要なことを列挙し、優先順位を議論することは非常に重要で、答弁はそうしたところに踏み込むべきだと思います。

重要土地に関する問題提起、素晴らしいです。さて、「あなたならどうする?」については別途考えてみます。

いずれにしても、中田宏議員は横浜市長として認識をしていましたが、良く勉強していますね。松下政経塾のご出身。松下幸之助さんの崇高な意思にも改めて敬意申し上げます。中田宏氏も参議院には繰り上げ当選。あまり人気が無いんですかね。次回いつ質問に立つのか存じ上げませんが、期待しています。こうしたずばりモノを言う政治家には敵も多そうです。お気を付けください。

愛のメモリー、助け合いの輪、助け合いのリサイクル

松崎しげるさんの「愛のメモリー」は、恥ずかしくなるくらい人間愛に満ち溢れており素晴らしい!の一言です。一部抜粋すると(違反行為だったらごめんなさい)こんな感じ。

「美しい人生よ、限りない喜びよ、この胸のときめきをあなたに~」

作詞家は、たかたかし さんという方ですね。お名前のおちゃめさと歌詞の崇高さのアンバランスに崩れ落ちそうになります。

さて、歌詞も素晴らしいですが、馬飼野康二さん作曲のメロディーも素晴らしく、不朽の名作であることは間違いありません。一週間に一度(流石に多いか?1か月に1回?)は歌いたい、そういう曲にリストアップしなければ。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9B%E3%81%AE%E3%83%A1%E3%83%A2%E3%83%AA%E3%83%BC_(%E6%9B%B2)

さて、ガラリと変わりますが、平穏な日々を過ごすことが出来ており、幸せを嚙みしめております。本当にありがたい限りです。この幸福感をシェアすべきだな、と思う次第です。そこで思いついたのが、「目の見えない方への本の読み聞かせ」です。少し唐突かも知れませんが、本当にそう思ったんです。

特に現代人はスマホやら何やらで目を酷使しており、自分自身も「目が見えなくなってしまう恐怖」を感じています。全く想像できませんが、真っ暗な世界は恐怖です。

そこで、私が目の見えない方に対して「朗読」をさせていただきます。当然プロでも何でもありませんから、読み間違いをしたり、お聞き苦しい点もありましょう。お金なんて受け取りません(和菓子とお茶をご用意いただければ、十分です)から許してくださいませ。キリの良いところでストップし、感想など意見交換しても楽しいかも知れませんね。2時間くらいすると自分も疲れてしまうでしょうから、続きはまた来週っていうサイクルで進めて行きましょう。

本を誰が選ぶか、というところは難しいですが、できれば私も興味のある本が嬉しいです。何と言っても朗読は録音し、自分の目が見えなくなってしまった場合にはその朗読を聞き直します。

自分の目が見えなくなった時には朗読サービスをお願いしたってバチは当たらないように思います。そのくらいの実績は積み重なっているでしょう。

これが私の考える「助け合いの輪、助け合いのリサイクル」です。良いこと思いついたぞ、と思いましたが、少し調べたらジモティーなどでボランティアの募集していますね。こういうの積極的に参加します。自分の朗読録音する権利ありますよね?

欲しいものって何?

こう聞かれたら、常に「時間」と答えたい。そういう人間でありたい。

これから、遅かれ早かれ到来する「仕事をしない生活」を想像するときに、「毎日が日曜日ってやること無さすぎない?」「ボケちゃわない?」とか、不安に思っている人は少なくないと思う。僕も正直に言うと不安が無い訳ではない。生涯続けられる趣味って何だろう、登山かな?読書かな?絵描きかな?釣り?

まあ、思い立ったら全部やってみれば良いような。また、そういう思いついたものはリストにしながら常にアップデートすると良いのかな、と思います。

他人からすると、ダラダラしているような生活もそれが「良いな、楽しいな」と思える心境であれば、良いと思う。「日常」と「非日常」とを分けて考えるのが好きな私ですが、「日常」って笑いが止まらないほど楽しいものでなくても良く、「興奮」に満ちたものでは無いですから。

人生100年時代と言われているかもしれないけど、読み切れないほどの読むべき書物があり、訪れたいところも沢山あります。お金と体力と相談しながら目標を決めても良し、決めなくても良し、心境が変われば方向転換することも可能ではないでしょうか。

兎にも角にも、常に好奇心があり、1日が短く感じちゃう生活、良いですよね。こうして思っていることを書いて残して行くことも楽しいことです。

旅行と呼べるようなイベントは「行った」とリストにチェックポイントを入れるだけというのは少し味気なく、「行きあたりばったりでも何とかなる」とは分かっていても計画を練ることにも全力投球したいですよね。なんせ、旅行は計画もまた楽しいですから。

Google殿は止められないと思う。大相撲って今どうなの?

「EUがAppleとGoogleを対象としたデジタル市場法で初の全面調査に踏み切る方針」というニュースが出ました。EUとしては、アップルやGoogleといった巨額の利益をだしている企業に対してあの手この手で揺さぶりをかけたい、ということでしょう。

まあ、落しどころと思われるような制裁金を貰うという構図なんでしょうか。ヨーロッパから両社を締めだしたら携帯なんて動かないし、片方だけ締め出したって価格が歪むし、出来ない話だと思います。地図アプリ一つとっても、もはやスマホがアップルかアンドロイドかの二択になってしまっているのですから、どうにもならないと思います。

私はAppleの商品を一つも持っていないのでApple殿の凄さを分かっていませんが、Google殿は「もはや止められない」と思っています。

テレビもアンドロイドテレビがあり、私も現在これを使って海外から日本のテレビを見ています。私はNetflixの良さが分かっていない人間ですが、好きなテレビ番組を振り返り視聴できれば、それ以上のことは不要かな、と思います。Googleは抜かりないでしょうから、テレビの領域にどんどん入り込んでいくと思います。(すでに入り込んでいるのかもしれませんが)

オリンピックなどのスポーツについては、どうしても見たければお金を払って観るか、有料でスポーツバーに行くとか、なのかな。スポーツだけはリアルタイムで観ないとどうにもなりません。

大相撲がなかなか出てこないですが、ここからです。NHKというのは非常にユニークな放送局です。受信料を取り上げる仕組みを作り上げ独自路線で進んでいます。公共放送とやらを自認しており、国会放送や相撲などを独占的・義務的に放送しています。なんだかんだ言って私が見ているテレビってNHKが最も多いかな、と思います。やはり民放とは出来が違うと思います。

なぜか、NHKと言えば、大相撲と国会中継が頭に浮かびます。NHKの看板番組のひとつである大相撲は最近全く観ていないです。高校野球もあまり見なくなってしまいました。

コマーシャルが無いこと、スポンサーの意向を無視できる番組作り、公共性などNHKには独特の面白さがあると思うのですが、本当にこの後受信料を集め続ける番組作りが出来るのかな?と思います。民放も本当にこの後コマーシャル広告に頼った番組作りが出来るのかな?そんなことで視聴者を惹きつける番組作りが出来るのかな、と心配になります。

良い番組を作り、視聴数に応じたお金をTverなどから受け取るという仕組みになり、そこから収入を得るような方式に変わっていく(もはやそうなっているのかな?)のかな。テレビって僕の世代ではやはり大事ですから今後の在り方ってすごく興味があります。Youtubeはスゴイですが、今のところテレビ番組を観ることはできません。そのうち観れるようになるかもしれませんけどね。「仁」などは何度見ても泣けますからね。多分、老後はテレビに相当お世話になります。目が悪い方、耳が悪い方に向けたテレビ番組にも大いに期待したいです。

相撲に戻りますが、最早、大相撲で誰が横綱か大関かもわからない状況です。番付を見るとすごい下まで力士も居て相撲人気自体がそこまでは衰えていないことを知りました。見ないから分かりませんが、毎日毎日「満員御礼」となっているんでしょうかね。相撲は一度しか実際には見に行っていないですが、実際に見に行くとそれはやはり迫力満点なので一度行っても良いかな?と思います。

選択

人間はあらゆる局面で「選択」をしている。今日は何食べようかな?どの靴買おうかな?といったいうような日々のことから、ブログを書こう!というのも選択だし、こんなテーマで書いてみようというのも選択。テレビだってYoutubeだって読書だって全部何らかの選択をしていて。

人生において何度「選択」しましたか?という問いに上手に答えられる人は少ないように思う。人生の岐路とも言える「選択」となると、それほど多くないような気がしますよね。例えば、どの大学に通うか?どの企業に勤めるか?というのも、選択と言えば選択だが、なんか僕の場合には「誰が引いたわけでも無いレールを勝手に引き」その中での選択をしたように思う。じゃあ、そのレールの上を走ろうっていうのは選択なのかと聞かれると唸ってしまう。何も考えず、「その方が結局は有利そうだぞ、無難だぞ」という意識くらいかな。

そうは言っても、現在、その選択は大正解で、ラッキーだったな、と思えることは嬉しい。選択が上手くいくかどうかは、結局は、自分がした選択を是として、「何があってもやっていける」というような変な自信が必要かな、と思う。選択をするにあたっての情報や見通しがその通りであることなんてなかなか無いだろうから、結局は「これだ」と決める他無い。

根拠は無いけど、「自分の選択は基本的には間違いない」「いかなる選択をしようが、結局はその選択を是とするよう前進していくしかない」と決めてしまうと実に楽だな、と思う。

ポジティブに。美味しくないレストラン、美味しくない料理を選んでしまったな、と思えば、「こういう選択で運を使ってはいけない」と思えばいいし、美味しい料理を選ぶことが出来れば素直にレストランに感謝すればよい。実に愉快な発想。我ながら素晴らしい。

いつ、どのような選択(決断)をするか分かりませんが、どこまでも前向きに考えていく予定です。

EUについて思う

申し訳ないくらい勉強をしていない僕の大学時代(1988-1992)ですが、EU発足についてディベートしよう、と他大学ゼミの方とも連携し、EU発足についてディベートした機会があります。

その際、「犬猿の仲のドイツとフランスがEUを引っ張っていけるのか?」「経済格差の大きい国も加入するので上手くいくのか?」と「米国の経済と対峙できる経済圏の創設」という壮大な理想論は理解しつつも、「上手くいくわけないよな」と思った記憶があります。パスタ一つとってもイタリアにおけるパスタの定義とEUで定めるパスタの定義は違っており、一つ一つを解決するのは不可能だろうな、と思った記憶があります。

統一通貨のEUROについても各国の経済事情が大きく異なり、歪みが大きすぎて結局スタート出来ないか早晩崩壊するか、上手くはいかないだろうなと思ったことだけは覚えています。

さて、30年以上経った今、どうだろう。EUに関する評価などきちんと勉強しておらず深く分かっていないことは事実だが、私が何となく抱いた懸念は表面化していない。各国の独立性を保ちながら、EUとして機能しているように思う。「実は見かけは上手くいっているようで各国はバラバラだよ」とか、「抱いていた理念とはかけ離れた状況だよ」ということなのかよく分かりません。EUには加盟しているけど、EUROは使わず、通貨は各国独自通貨をそのまま使ったり。イギリスが離脱したり。ただ、人口で4億人を越える経済圏を築き維持していることについては敬意を覚える。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AC%A7%E5%B7%9E%E9%80%A3%E5%90%88%E5%8A%A0%E7%9B%9F%E5%9B%BD

ヨーロッパというのは、なんだかんだ言って強いよな、としみじみ思う。どういう経緯で急にEUなの?という問いには答えられないが。日本にはできない芸当。

人生とは(3)

さて、前回、人生は競技という類のものではなく、「幸せ」を積み上げていくもの(作業ではないし、道というと少し大げさかも?)かなあ、なんてことを考えました。

だからと言って「幸せ」をがむしゃらに探して「ああ、私は今幸せなんだ」と思い込むことが良いのか?というとそうでもなく、「幸せだと思い込む必要もない自然な幸せが真の幸せだ」というのも少し違うように思います。

じゃあ、幸せの瞬間を列挙しなさいと聞かれたらどう答えるか?旅行先での絶景、街並み、美味しい料理、友人との楽しい会話、これは幸せの瞬間というよりは、「楽しかった思い出」です。イベントです。では、毎日がイベントという生活が幸せなの?と聞かれると、「そりゃそうだよね」というようにも思うし、「いやあ、毎日毎日あれやこれやというよりは、たまにそういうイベントがあるから楽しいんだよ」というようにも思います。

「やりたいこと」の無い生活は何とも不毛ですが、毎日毎日新たな発見、感動の連続、という生活も何か気が進みませんね。変なプレッシャーありそうですよね。程よい感覚でイベント(ハレ)があり、それを待ち望みつつのんびりとした日常(ケ)がある。どうやらこの程良さが「幸せな状態」という気がしてきました。

何となくですが、80歳まで生きたとして、80歳になってまで「ビーチでまったりしたい」とか、「パリの街並みを歩いてオシャレなカフェでお茶したい」とは思わないのかな、と。

程良さこそ自分が決めますが、通常は仕事などしていると、休みも限られるから、「程良さ」が制御されています。会社によっては勤続20年とかで長期休暇が与えられたりしますが、素晴らしい仕組みですね。終身雇用が崩れつつありますから、勤続年数に関わらず、5年に一度くらいは1か月休暇が与えられる世の中を望みます。ヨーロッパのバカンスは長いらしく、それは羨ましいです。

人生とは(2)

人生をマラソン競技に例えることって多いんだろうな、と思います。多分、そういう場合、生まれた瞬間からレース(競技)が始まっており、死亡するときにレースが終わる。これは、「時間」ということからするとその通りで、「人生は長い→長い=マラソン」ということで「人生はマラソンだ」というような考えに何となく納得してしまう。

人生を80歳だと思えば54歳の僕は30キロ付近を走っていることになります。時間ということではマラソンに例えることはもっともらしいようにも思います。死んでしまえば何がどうあろうがレースは終了ですし。

一方、ゴールが死に設定されていることは余りにも競技としてどうなの?というようにも考えられます。「人生とは?」と考えたときに、「人生は生に始まり、ゴールは死である」というのが、あまりにも工夫が無いし、努力の結果が見えづらいようにも思います。

また、「人生の目的=ゴール」はその時々に設定されますから、一つの長いレースにこだわる必要は無いようにも思えます。いつでもスタートラインとゴールラインを自分で設定できるわけですから、一日の始まりをスタート、一日の終わりをゴールと設定して、一生懸命頑張る、という考え方の方が健全かな?とも思います。

「人生の目的=ゴール」って何?が難しいですが、「人生の目的を幸せの追求」と仮にした場合には、その時その時が幸せであることで一つの競技が終わっているようにも思うし。

どちらにしても心身の健康が競技を続ける大前提。健康でいなくなったら「お迎えを待つ競技」しか残っていないので、それまでにどれだけ「幸せ」を積み上げられるか?という感じで考えてみようかな。

本日の結論

人生はマラソンのような一つの競技とはどうやら違うと考えたほうがしっくりくる。やり直しが何度でもききますしね。

そもそも競技として他人と比較するようなものではないよな。

少し考えが前進したようにも思うが、まあ、こんなことを考えていることが楽しいと思えるんだから、自分に何が起こっているんだろう?と思う次第。

人生とは?(1)

いきなり、とてつも無く大きなテーマについて全く考えがまとまっている訳でもないのに、あれこれ思うことを書いてしまう。

まず、生まれてくる瞬間は多分誰も何も考えていない。仮に考えていたとしても記憶が無い。食べ物を食べて、これは美味しいとか、不味いとか、あれが食べたい、食べたくない、といったことを感じたのはいつ頃だったのか、全く覚えていない。

両親は「いないいないばー」とかして私の機嫌を取ってくれていたんだろうと思いますが、それが良かったのかそうでもなかったのか、全く覚えていません。

私は生後1年もしないうちに脱腸で手術をしていますが、その時は救急扱いで手術をしていただいたと親から聞いていますが、全く記憶が無いんです。「痛い!」と泣いた記憶も全く残っていません。あの時措置が遅ければ、私は生後何か月かで命を落としていたかも知れず、兎に角異変に気付いてくれた両親、対応いただいた病院には感謝しかございません。

3歳で現在の実家である可児市に引っ越し、高校まで実家の可児市で生活しました。幼稚園、小学校、中学校、高校とあれこれと覚えていることもあれば、記憶が不確かなことも多々あります。担任の先生、全て覚えているかな?中学校辺りが少し記憶が乏しいです。

日本という国は機会を平等に与えている方だと思いますから、どの家に生まれたか、ということは全てを決める要素にはならないように思います。私は全て公立の教育機関に通い、教育に要したお金は相対的には少なかったかな、と思いますが、それでも十分は教育を受ける機会(勉強したか?と言われるとお恥ずかしい限りですが)には恵まれたと思い、感謝しています。

今、フィリピンで暮らしていますが、ここでは裕福な家に生まれれば十分な教育を受ける機会に恵まれ、周りの友達もそうした友達、そうでなければ、なかなか恵まれない教育環境だと思います。学校に通っていない児童も相当数いると思います。つまり、機会が平等とは言い難い環境だと思います。

こう考えると、良い家庭に生まれたな、良い国に生まれたな、と思います。

あれこれ思うところを書いても良いのですが、全く知らないうちに始まった人生ではありますが、これまで色々な選択をしてきたな、ということです。

大学、これは選択のようで「行けるところで最も難しいところに行く」というのが選択のカギだったと思います。学部(何を学ぶか?)についてもそれ程考えていなかったです。私は商学部、経済学部、法学部、と文科系の学部を受けていて、大学で何を学ぶか?その後どういう人生を送ろうとしていたか?について考えていなかったというのが正直なところです。

人生とは?なんてことを考え始めたのはいつなんでしょうかね。警察官になりたい、コックさんになりたい、と言ったりしたことはありましたが、何となく会社員になるんだろうな、ということを考えていたように思います。

現在54歳ですが、人生のゴールって何だろう、人生のピークって何時?何を指すの?というようなことを考えることが増えて来ています。そもそも自分の意志で生まれてきていない人間が人生についてあれこれ考えるのは、興味深いな、と思う次第です。

新政党立ち上げ

政治に対する不満は今に始まったことではないが、現在は不満が最も高まっている時期かもしれない。

自民党を考えれば、2世、3世議員が非常に多く、資質に問題があるのでは?という議員が多すぎる。お金に関する不始末やら国民を舐め切った言動やら枚挙にいとまなし。野党にあまりにも力が無く、驕りのようなものが背景にあるのかな、と思う。

かと言って、野党に投票したいと思える政党は正直無い。消去法と言われても厳しい。立憲民主党に期待せざるを得ないのですが、自民党とは違った嫌悪感を持っている。維新?国民民主?どうも違う。共産党や公明党はNO Thanksと言わざるを得ない。

政治不信をアピールすべく白票でも投じたいが、これまた何ら意味が無い。

つまり、僕は「選ぶべき国会議員ゼロ」「国会議員数を減らしたい」「政治にかかる費用を極小化したい」ということが政治に期待することだと気付く。

国会議員を半分にする、何も問題は無い。参議院を20人にする、多分、全く問題ない。

と、言うことで、私は新党「国会議員削減党」を新たに立ち上げ、比例代表で多くの議席数を確保することを目指します。現在の選挙制度だと衆議院よりも参議院の方がやりやすそうです。当然、無報酬(全額を被災地復興に寄付するなど)で心ある候補者を集めます。選挙カーなどはお金がかかるからやりません。政治不信に陥っている人からの1票に期待することを是とし、議員数を増やすことで実質的な政治コストを削減することに専念し、既存政党にプレッシャーをかけ続けます。

政策は当然のことながらシンプルです。参議院定数削減に関する法案を提出し続け、国会質問は議員削減に関する質問や提言に集中します。一定のムーブメントを巻き起こすことが出来るように思います。結構自信あります。

既存政党は残念ながら政治改革などは声高に言うものの、自分たちはちゃっかり議員としての報酬を得ています。自民党のように無茶苦茶じゃない、ということを良いことに「目くそ鼻くそを笑う」という状況です。「国会議員削減党」は全員が無報酬です。正直、議員としての活動は議会への参加に限られますから、秘書は雇わないし、当然、パーティーなんか行いません。国民の政治不信へのパワーを貰い続けることで大きくなってしまう政党です。自民党が自ら誰からも認められる与党になる、立憲民主党が野党をまとめるなりして政権交代を果たし政治をよみがえらせる、こういうことが起こると政党の役割が衰えるかもしれませんが、まあ、そんなこと起こらないですよね。

と、言う訳で、政党を立ち上げるのにどのくらいの手間と費用がかかるかなど考えてみます。

Google殿

私のようにAndroid端末を使っている人間は特に「Google殿」なしでの生活は考えられない。検索は別にYahooでもBingでも何とでもなるが、Google MapやYoutTubeなしの生活も考えられない。

今や、取扱説明書はYouTubeに取って代わってしまっているし、Google Mapなしには見知らぬ場所に行けない。車移動だけに限ればWazeなど代替のアプリもあるが、車で行けば何分、電車なら、バスなら、といった輸送手段別の時間や最適なルートの案内などはGoogleなしには旅行は考えられない。

先日、台湾旅行に出かけたが、友達のGoogle使いこなしぶりがこれまた素晴らしかった。Google殿を上手く使いこなせば、翻訳も簡単、旅先で難しいと思われるバスもいとも簡単に乗りこなせてしまう。バスってルートが沢山あり、ルートごとにバス停も微妙に違うし、紙ベースの地図では正直限界があります。でもGoogle Mapなら、そうした心配もほぼ皆無。まだまだ不完全だったり、南北逆に歩かされたりとかまあ色々ありますが、便利なことこの上ない。

僕の卒業旅行はヨーロッパ約1か月、7か国をひたすら移動しながらぐるっと周った旅行。ホテルなんてとんでもないから、ユースホステルばかり。だから、新たな都市ではユースホステルに荷物を預けるところからスタート。地球の歩き方のわずかな情報を頼りに不便な場所にあるユースホステルを探すが、途方に暮れて地方の方に下手な英語であれこれ聞きまくったことが懐かしい。無事にユースホステルに辿り着いた喜びは良い思い出だが、旅としては「不要な時間」だったのかもしれない。

店が混んでいるのか?なども表示され、旅人にはこれ以上ない情報ソース。

Google Mapを月に1000円課金します、と言われたとして、そりゃ払っちゃうよな、と自信を持って答える。Google殿はスマホホルダーが旅人か否かを分かっているから、旅行中のみ課金する、なんてこともその気になればできる。電車の時刻表、バスの時刻表からすべてが格納され、レストラン情報も豊富。旅先でGoogle殿が意地悪したい、と言えば従うしかない。

AIでは不手際があったようだが、まあ、そんなことは些細な話。これからもパワーアップしたGoogle殿がいつ、どのような課金を打ち出してくるのかな?とびくびくします。

いやあ、スゴイですね。

日産と部品メーカー

WBSを見ていて、日産の下請けをいじめる手法を知り、今更ながら怒りを禁じえませんね。やっちゃえ日産!とCMで言っているが、こういうことはしちゃいかんよね。

カルロス・ゴーンの野郎、許すまじ!と思っていて、彼は彼で大いに問題ある(あの逃げ方は異常)と思いますが、日産という会社も非常に大きな問題を抱えており、どっちもどっちだよな、と思う。

さて、こういう感想は極めて当たり前の感想ですが、もう一歩ももう二歩考えを深めてみたいと思います。

今回の日産の下請け法違反は、確かに会社が有名ということもあり、インパクトありますが、2022年度(2023年度は未公表)の下請法違反は8,671件。このうち、指導が圧倒的に多く、8,665件、勧告は6件。今年度は今までのとところ日産も含め8件の勧告件数。金額インパクトは日産自動車が圧倒的に多額。

どこまでは指導でどこまでが勧告かよく分からないが、再発防止策の提出やフォローアップは一定なされている模様。

さて、公正取引委員会には頑張ってもらいたいが、企業が利益を追求する限り、下請けに対してコスト削減を求め、顧客に対しては値上げをトライするのは企業としてはある程度当たり前の行動のように思える。IRなどで利益目標を掲げているし。

こういう規則はとことん罰則を厳しくするしかないように思うが、如何でしょうか。罰金をびっくりするくらい多く取り上げる、とか。

また、下請け企業もある程度顧客(部品納入先)にモノが言えるよう、経営基盤を強くすることを考える他無いと思う。

それには、「唯一無二の技術」か、「揺るぎない経営基盤」がやはり有力では無いかと思う。「唯一無二の技術」というのはなかなか開発が厳しいのではないかと思います。それが一番強いですけど。

企業の合併や経営基盤の強い持ち株会社に様々な中小企業ぶら下がり、多少のブレにも持ちこたえられるような財務上の体力を付ける、とか。

今回の日産のケースは報道によれば、あまりにもお粗末な形で下請けをいじめていて論外ですが、合法でも下請けを競わせること(=コストを極限まsで下げさせる)は出来てしまうように思うので、頭が痛い。

お金と体力と人生

世界には実に多くの国と地域がありますが、「6歳とか7歳といった年齢で学校に通い」、「20台前半で教育を終え」、「卒業後は仕事をし、60歳くらいまで働き」、「リタイア後の人生」を送る、というライフサイクルなんだと思います。

勿論、貧しい国では教育を受けることが出来ず、若くして働いていたり、学校教育が終わった後も定職にはつかず(つけない)方も居るかもしれません。また、大学院など20台半ばまで教育を受けている人も居ます。しかしながら、大まかにいえば、こんな感じでは無いかと思います。

少なくとも自分はそうでした。

と、言うことは、多分、最も効率的な仕組みでは無いかと思います。

今、自分が55歳になろうとしていて、退職後の人生についてあれこれと考え始めていますが、本当にこれが最もよりよい人生のキャリアパスなのかな?と思います。

人生100年時代と言われているのに、6・3・3・4で順調に行けば22歳で社会人になるのが変わらないのは「なんでだろう?」。

退職後どうしたら良いか分からない人(自分も結構そうかもしれない)が多いのに、そういうことを教える学校が無い(あったらごめんなさい)のは「なんでだろう?」

人生で最も体力があるのは多分10台後半から20台前半、こんな大切な時に受験やら会社員でこき使われてるのは「なんでだろう?」

60歳ともなると体力も落ちてきて、感受性も衰えてきます。お金はふんだんにあるかも知れないけど、こんなタイミングで自由時間が増えても嬉しくない。体力もあり、感受性が豊かな20台に仕事ばかりしているの「なんでだろう?」

若いうちから思う存分旅行して世界の色々なところをみたり、趣味の世界の没頭したり、子供の成長に寄り添ったり、そういうことが十分にできていないのって本当に出来ないのかって真剣に考えている会社とかってあるのかな?2か月くらい思う存分休める企業って日本には無いのかな?

答えは無いかも知れないし、すぐには見つからないかも知れないけどあって良いと思う。できると思う。

暮らすように旅をする・旅をするように暮らす

旅というのは、広辞苑によれば、「住む土地を離れて、一時他の土地に行くこと。旅行。古くは必ずしも遠い土地に行くことに限らず、住居を離れることをすべて「たび」と言った」とのこと。確かにその通りかな、と思う。

一方で、旅は「非日常の体験」だとも思っていて、移動距離が遠ければ旅行というのでもなく、必ずしも宿泊を伴う必要は無いと思っている。近くを散歩していて、「あれ、こんなところあったんだ!」という発見は私の中では旅と言える。

「暮らし=日常」であり、「旅=非日常」と考えれば、「暮らすように旅する」ってなかなか難しいようにも思うのですが、私の考えでは、「異国=非日常の場所で、暮らす=普通に生活する」ことは、「暮らすように旅する」ってことになるのかな、と思う。

以前住んで居た、以前行ったことがある都市で、観光地には目もくれず、やはり今住んで居るマニラや日本とは違った場所で、「バスに乗り、スーパーに行き、自炊する」。そんな生活・旅をしてみたいな、と思う今日この頃。

また、普段の生活の中に「非日常」を取り入れることで、何気ない生活が一気に旅行並みの非日常体験になり得る、ことに気づいた。

自分用のお土産として台湾で買ってきた「からすみ」や「烏龍茶」を呑めば台湾での旅行シーンが蘇るし、スポティファイでランダムにかかったBilly JoelのUptown Girlなぞが流れようものなら、NYのブルックリン橋を歩いて渡った高揚感が蘇ってくる。音楽は僕にとっては「No Music, No Life」というほど、生活に溶け込んでいますが、不意打ちに予想外の曲がかかると、一気に「非日常」へと連れて行ってくれるんだな、と思う次第。NYの旅行コストは異常なまでに高いだろうから、そう簡単には行けないが、ありがたいことに、僕には数度の旅行体験がある。一気に過去訪問したNYの風景、空気を思い出すことが出来ることって嬉しいことだな、と思った次第。

書を捨てよ、町へ出よう(スマホは論外)

私は寺山修司さんは大好きで、この、「書を捨てよ、町へ出よう」も随分昔に読んだ。当時はその通りだな、と思った。

現在は、町には出ていっている方だと思うが、本はあまり読まなくなった。その代わりスマホの薄っぺらい情報を無意味に、暇つぶしのように読んでいることに気づいた。

明確な統計なんか無いが、「スマホを見ている時間」と「人間の成長」は反比例の関係にある、と思っている。スマホ自体を否定するつもりはない。わざわざカメラなんぞ持ち歩かなくても素晴らしい写真や映像が取れることは素晴らしいこと、気軽に音楽が聴けることも素晴らしいこと。地図アプリなんてのは、世の中を変えたとすら思う。

メールなど今やわざわざプリントアウトしないし、電話や連絡先など、スマホが必須&便利だというのは心底思う。スマホの無い生活を送る予定は今のところない。

一方、スマホで1,2分で読み切れるようなニュースなどについてはどうだろう。これこそが人間の思考を薄っぺらくし、深みとか無縁な「バカ」を産み出す側面だと思っている。食事の時にチェックしなくてはいけないニュースはほとんどない。メールやテキストだって本当はそうだ、食事の際にスマホをいじっていることのある自分は猛省が必要だと思う。「あなたは食事の時間もスマホをいじらなければいけないくらい時間が無いのですか?一日が24時間30分になるよう神様にお願いしますか?」と。そんなはずはない。

要すれば、スマホは上手く使わなければいけない、ということ。

私は部屋ではスマホをなるべく見ないようにし始めた。Youtubeを見る、ニュースを読む、時にもPCを使うようにしている。大した違いは無いが、スマホを惰性でいじり続けることは、なんか間抜けな気がする、ということ。

これとて、寺山修司さんには「捨てろ」と言われている「書」にはかなわないと思うが、スマホなんて寺山修司先生には「論外」なものに映るだろうな、という感想。

折角、考える力を与えられているんだから、「教養」といった深い何かをみにつけたい、それには、沢山の書物を読むしかないだろうな、という心境。さて、少しずつスマホを必要最小限にする効果が現れるかな?

マンダリン・オリエンタル巡り(3)

さて、マンダリンオリエンタルを巡る旅は台湾・香港・バンコクといった感じで巡ってまいりました。今回はホテル天国のマレーシア・クアラルンプールです。ホテルには詳しい訳ではありませんが、もう10年以上前からクアラルンプールのホテルは充実していて安い、という評判があったように思います。

言われてみれば、現存するマンダリンオリエンタルで泊まったことのあるホテルはこのクアラルンプールのホテルだと思います。2010年くらいですから10年以上前ですが、1泊1万円程度で泊まれたと思います。

現在、マンダリンオリエンタルのサイトで1泊の値段をチェックすると2万3000円程度ですから、マンダリンオリエンタルの中では格安と分類されると思います。マンダリンオリエンタルはクアラルンプールの高級ホテルの中でも人気が高いようです。

他にもグランドハイアットやJWマリオットなど魅力的なホテルもありますね。それほど高くないように思います。ホテル滞在を中心とした観光も十分にあり得るな、というクアラルンプールです。

野党の皆様

さて、自民党議員の歳費が全く適当に処理されていて、かつ、国民軽視しているとしか思えない対応には「さもありなん」という感じです。また、どうしてこれほど長い間不正が明らかにされなかったか、疑問です。

次、どのような選挙が待っているか分かりませんが、流石に自民党は地滑り的な敗戦となるでしょう。そうならなかったら国民のレベルもそこまで、ということでいよいよ没落していくことになるでしょう。

ただ、自民党がここまで緩み切って、国民を舐め切ってしまった要因について考えてみると、「自民党以外に世の中を動かしていけますか?」という問いに国民が答えられないからだと思います。

立憲民主党の前身である民主党が政権を担ったのは、2009年から2012年の3,4年。その間に鳩山由紀夫、菅直人、野田佳彦の3人が総理大臣についていますが、言うまでも無く全て短命。民主党政権に対する高評価はほぼなし。結局自民党以外には任せられないんだよね、ということを印象付けてしまったという印象です。

民主党、現立憲民主党が下野してからすでに12年経っていますが、与党を追及する以外に最大野党として政権を担う覚悟、能力があることを国民に訴えているのでしょうか。私にはそうは見えません。

先日予算に関する審議をテレビで少し観ましたが、予算に関しての論議はほぼなし、派閥を巡る不祥事などなど。国民からしてみたら、予算審議のための国会がどうして不祥事追及のためにしか使われないんでしょうかね。どのように最終的に予算決議がされるのか分かりませんが、不祥事追及のための審議は「別枠」で済ませてほしいです。国会議員の皆さんは疑惑が晴らされるまで徹夜でも何でもいいから残業してください。

なかなか考えがまとまりませんが、まずは自民党議員に地滑り的敗戦を与えることは間違いなく必要だと思っています。議員には落選以外で反省することは無いですから。政治の混乱が生じてしまうのでしょうが、このまま自民党に政治をさせるのは流石にダメでしょう。野党の皆様には政権奪取後のビジョンを示してもらいたい、自民党の勉強している議員からの質問に答えられる内閣を誰が担うのか考えてもらいたい。考えてるかな?しっかりして欲しい。今のままでは「万年野党」を心地よく思っているようにしか思えない。

本来、ホテル天国クアラルンプールについて思いを馳せる予定でしたが、自民党やら政治家に舐められまくっている国民の一人として考えがまとまらないものの思ったことを書いてみました。投票に行かないとね。